「日本共産党綱領/綱領第1章解説」の版間の差分
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<h3>一、 戦前の日本社会と日本共産党</h3> | <h3>一、 戦前の日本社会と日本共産党</h3> | ||
'''(一)'''日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。 | |||
当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。 | 当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。 | ||
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'''(二)'''党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。 | |||
党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。 | 党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。 | ||
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'''(三)'''日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年<ref>12月8日に真珠湾攻撃</ref>には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。 | |||
帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。 | 帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。 |
2024年12月17日 (火) 03:05時点における版
綱領の第1章は戦前の日本共産党です。戦前と戦後では社会情勢も随分と違います。戦前の日本共産党はどんな政党だったのでしょうか?見ていきましょう。
一、 戦前の日本社会と日本共産党
(一)日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。
当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。
党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
日本共産党の創立は大正時代です。創立の翌年に関東大震災が起こっており、随分と大変な時期に登場した政党であります。
当時と現在とで最も違うのが、「主権が誰にあったのか?」です。今は主権在民(国民主権)で、主権は私たち国民が持っています。しかし、当時は天皇が主権を持っていました。
当時の共産党は主権を国民の手に移すことを目指して活動をしていきます。
(二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。
党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。
党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。
党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。
党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。
党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。
当時の共産党の活動について簡単に書いてあります。「すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。」とありますが、当時は女性は政党に参加することができませんでした。しかし、共産党は女性も一緒に活動していたことが記録されています。
ジェンダー平等に関する考え方は当時と今とでは全然違いますが、社会や政治への関わり方について、性別によって差別されるべきではないという考えが共産党にあったことが伺えます。
(三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年[1]には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。
帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。
他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流[2]するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。
侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲で多くの地方が焦土となった[3]。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下[4]され、その犠牲者は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。
ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。
日本共産党は今ある政党の中で最も古い政党でもあります。日本共産党は日本で最初にできた政党ではないのですが、大政翼賛会ができた時に他の政党が全部解散してしまったので、共産党が最も古い政党となりました。
戦前の日本共産党は非合法の組織でありました。天皇制政府の転換を目指していたことが、当時の政府には都合が悪かったのです。政府は憲兵や特高警察を使って共産党を弾圧しようとします。しかし、それに屈することなく、たたかい続けました。
ここではサラッと書いてありますが、憲兵や特高警察が目を光らせている中での活動は並大抵のものではありませんでした。赤旗(当時は「せっき」と言う名前でした)の発行も、それとわからないような形で進められたと伝えられています。
戦争が終わり、日本国憲法の日本が誕生しました。戦後の日本国民はこの憲法を受け入れ、現在に至っています。
日本国憲法の柱である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義。これは戦前の日本共産党が求めていたものであり、日本共産党の目指していた社会が正しかったということを証明することにもなりました。
さて、日本共産党は国民の苦難軽減を立党の精神としているわけですが、この精神は党設立から100年経った今でも引き継がれています。政党というと、議員がいて、議会で活動するものだと思われているかもしれませんが、日本共産党の活動場所は議会だけではありません。
生活に困って近くの警察に行くと、日本共産党の事務所を紹介される、というような話が以前某雑誌に載ったことがありますが、生活相談や法律相談などを事務所で行ったりして、困った人の力になっています。
リーマンショックで多くの人が職を失った時も、共産党の事務所に多くの人が相談に来ました。東日本大震災の時は募金やボランティアの派遣。新型コロナウイルス蔓延のときには生活に困った人の助けになろうと、各団体と一緒にフードバンクを実施。能登半島地震でも、地元の共産党組織と連携して救援活動を今も続けています。
いろいろなところで国民のために活動しているのが、日本共産党なのです。